インタビュー

韓国と日本が抱える共通の難民保護の課題を追及する


中学生の頃からニュージーランドや日本など複数の国で生活し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のソウル事務所で難民保護の実務に従事した後、研究者として東京に戻られたスジンさん。


● お話


李 受珍(イ・スジン)


● 聞き手


吉野日向子



 




前半では、韓国の難民保護に最前線で取り組まれてきたスジンさんに、韓国の難民・外国人労働者受け入れ事情について伺いました。戦後「移民送り出し国」であった歴史的背景や、脱北者に対するサポート体制など、韓国の外国人受け入れはどのように特徴づけられるのでしょうか。

 

 

●吉野 スジンさんは、今は日本と韓国の難民政策や判例について研究されていると伺いました。日本の場合は難民認定の申請件数に対する認定数が他の国と比べて低いと言われていたり、「難民鎖国」と呼ばれたりもしていますが、難民の受け入れに関して韓国ではどのように議論されているのでしょうか。

 

●スジン 認定数の問題は韓国でも結構批判されています。日本で驚いたのは、カンファレンスなどに行くと「隣の韓国では認定数が高い」と言われていることが結構あったことです。日本に比べると高いかもしれませんが、世界的な認定率に比べるとまだまだで、国内ではすごく批判されている問題の一つなんですね。韓国の審査当局としては認定率より審査のクオリティの問題が重要で(それはUNHCRも言っていることですが)、認定率が低いのは経済的な理由や不法滞在を逃れるために難民申請をする「偽の難民」が多いからというのが当局の立場なんです。認定率は低くなったり高くなったりと結構波があって、最近二、三年くらいで結構低くなったんですね。難民を受け入れ始めた1994年から2020年4月までの難民申請者数は7万1936人で、難民資格が認定されたのは1101人と認定率は1.5%です。高いときの認定率は年に三、四パーセントくらい。難民認定にくわえて、人道的滞在許可の枠が大幅に保護する形になっていて。例えば、2018年に600人くらいのイエメンの難民が済州島に上陸して難民申請したケースがあったのですが、そのときは難民資格ではなく、人道的滞在という資格が与えられて臨時的な保護が行われました。そのような臨時的な資格を含めると、保護率というか認定率は十パーセントくらいになります。ただ、それは臨時的な保護であって、安定した資格ではなく、待遇も差があります。日本と韓国が抱えている難民認定・保護に関する大体の問題は似ています。認定率とか、支援のクオリティの問題とか、Detention(収容)の問題とか、強制送還の問題とか。

 

●吉野 日本でも、経済的理由からだったり、技能実習生が滞在資格を失ったり、失踪したりした後に難民認定をして滞在を延長している、という見方もありますよね。

 

●スジン そうですね。本当に経済的な理由だけで申請する人もいれば、その一つ一つの事例を見るとすごく複雑になっているケースもあって。例えば、自分の国に帰ると少数民族であることを理由とした差別を受けて経済的活動ができなくなるので、技能実習生として来るしかなかったとか。技能実習生として日本や韓国に来ている間に、自分の地元で紛争があって帰れなくなったとか。そういった複雑な事情を抱えている人も多くいます。あとは難民認定という仕組みをよく理解できなくて、「自分は難民だ」と思うだけで難民になったと思ってしまう方もいて、わざわざ入管に行って申請をして資格を得る必要性が分からないっていう人もいるんですね。そういった事情で不法滞在になったり、自分が不法に滞在していることを自覚していない人もいたり、色々なんですね。

 

●吉野 日本でも、日本語の言語の壁が大きくあって、難民認定の申請の仕方が良く分からないとか、書類が難しいという方もいらっしゃるのですが、韓国でも言語の壁はありますか。

 

●スジン そうですね。私も外国人で日本語がすごく難しいっていうのは分かっているのですが、韓国語も簡単な言葉ではないですね。例えば入管で英語が通じる場合でも、英語ができない外国人の方も多くて通じなかったり。入管の公務員もそこまで英語が達者ではなくて、意味がうまく伝わらなかったり、誤解が生じることもたまにあります。少数民族の言葉しか話せないとか、自分の国の標準語ができないとかで、自分の友達に通訳を頼んでも通訳のクオリティが良くなくて、結局よく理解できずに申請期間が過ぎて不法滞在になった、という問題もあります。

 

●吉野 言語の問題もそうですが、政府や自治体の手が行き届いていないサポートは、日本では市民団体やNPO、ボランティアが補完しているイメージがあります。そういった市民組織の役割は、韓国ではどういった感じなのでしょうか。

 

●スジン 韓国にもいくつか市民団体やNGO団体がありますね。例えば、難民申請の手続きを専門的にサポートするとか、裁判まで上がったときにその裁判のための準備とか弁護士の紹介とかをサポートするとか。難民の方が仕事を探すときの仕事の訓練や、自分のお店を立ち上げたいとか、レストランを広げたいといった場合のサポートをしているところもあったり。ボランティアで韓国語や生活全般のサポートをしているところもあります。出身国によっては韓国とインフラが違うところもあるじゃないですか。例えば最近だとキオスク(電子注文パネル)での注文が多くなったので、デジタル環境に慣れていない人たちに使い方を教えてあげたり、アドバイスを挙げたりする団体もあったりしますね。そういうのは大体市民社会で、NGOが担当するところが多いです。政府レベルでは韓国語のクラスが提供されているんですけれども、仕事のスケジュールで行けなかったりする人もいます。

 

●吉野 私も日本の難民支援団体でインターンシップをしたことがあるのですが、難民の方が仕事のせいで日本語学校に行けていないという話を聞いたことがあります。受け入れの面でいうと、それこそ先ほどイエメンの方が済州島に多くいらっしゃったという話もありましたが、受け入れる側である韓国社会と難民の方との関わりや、受け入れに対する世論はどのようなものなのでしょうか。

 

●スジン 600人に近いイエメン難民が(最終的に滞在が許可されたのはは400人あまりだったのですが)、どーんと来たとき、それまで韓国では「難民」という存在に気づいていなかった方がすごく多かったんですね。テレビでUNHCRとかSave the Childrenとかいろいろな団体のCMがあるじゃないですか。それで、そういった支援が必要な人たちにはお金が送れば何とかなると、遠い国のことだと考えている人たちが多かったんですね。実際には、それまでテレビなどで話題にならなかっただけで、(多い時は)一万何千人くらいの申請者が毎年いたのですが、数百人のイエメン難民が一気に来たというのはすごく話題になりました。世論では、可哀想だから彼らを保護するべきだっていう意見もあれば、イスラムに対してテロや危険、社会の安全に良くない影響をもたらすかもしれないというイメージがあって受け入れを反対する意見もありました。あとは単純に外国人が韓国に来るのが嫌っていう人ももちろんいるんですよね。そういう世論がたくさんあって、全体的にはあまりよくなかったですね、やっぱり。

 

●吉野 なかなかすぐには、受け入れがたいのかもしれませんね。

 

●スジン そうですね。よくわからない存在に対する恐怖心が原因だったのではないかというのと、あとは確認されていない噂がネット上でいっぱい広がったんですね。それが事実かどうかが問題というより、話題になりやすい刺激的な話が広がるようになって、それで「怖い」「嫌だ」と思う人が出てきた。「私の近所にこういう人たちが住むのは嫌だ」というような意見が結構多かったですね。この前のアフガニスタンのことでも、難民としてではないのですが、「特別寄与者」というカテゴリーで、例えばアフガニスタンでの開発事業に参加したような、韓国に「寄与」したアフガニスタン人380人を韓国へ脱出させたことがありました。「彼らは韓国のために働いた、だから私たちが保護する」という形で受け入れたんですね。それもやはり、「難民」という単語を使うことによって生じる可能性が高い国民からのネガティブな反応を考慮して、「特別寄与者」として入国させた可能性もあるのではないかと思います。

 

●吉野 「難民」に対して、やはり怖いというイメージ、治安が悪くなるのではないかというイメージは日本にもある気がします。

 

●スジン 「難民」というと、治安の問題もあれば税金がかかるというイメージもあります。難民ってどちらかというとお金がなくて助けが必要な人たち、就職ができない、スキルがない、教育されていないといった否定的なイメージがいっぱいあって。最近の経済状況を考えると、韓国人も含めて経済的に良くない人も多くいるので、「税金の無駄遣い」ということにはみんなが敏感になるのだと思います。それで受け入れに反対する人がいる。

 

●吉野 ドイツなどでもシリアからの難民を受け入れた後に、難民が福祉の面で負担になるということで、自国民優先主義的なポピュリスト政党の動きが生まれたということもあったと思います。韓国でも、社会一般的に受け入れには消極的な雰囲気が生まれたということでしょうか。

 

●スジン そうですね、韓国は、今は発展していますが、まだまだ国の中で生活が困難な子どもや政府からの支援が必要な家庭がいっぱいあります。それはどこの国も一緒だと思いますが。それで外国からわざわざ人を連れてくるより、目の前の人たちを何とかしましょうという意見が強いですね。

 

●吉野 やはり経済的な面は大きなポイントなのでしょうか。

 

●スジン そうですね。韓国で難民認定を受けて滞在するときに一定水準の収入がない場合は、基本生活支援金という政府からの支援金に申請することができます。あとは国民健康保険の加入資格が与えられて、安い値段で医療システムが利用できるんです。いろいろな手術とか普通の通院とか、治療を受けられるようになります。ただ普通の収入を得ている人たちはある程度の値段の国民健康保険金を払っているという中で、今まで国民健康保険を払わなかった外国からの人たちにそのようなサービスを提供しても大丈夫かという批判の声があります。

 

●吉野 外国人労働者に対しても同じような批判があるのでしょうか。

 

●スジン 今は外国人労働者がいないと社会が回らないくらい、彼らはいろいろな分野で活躍しています。例えば建設現場や掃除、あとは農業。日本でも同じだと思うのですが、韓国でも出生率が低いので、あちこちで働く人が不足しています。外国人労働者の受け入れは現実的に避けられないことという認識はあるんですね。テレビの番組などでも、頑張っている外国人労働者を定期的に撮影して、「彼らも自分の国に残している家族がいる」とか「働いているお父さんに会いに行く」というような様子を描くものがあるんですね。「彼らも頑張って自分の家庭を支えるふつうのお父さん、ふつうの息子ですよ」と見せることで、韓国人と変わらない、同じ人間だと。今はいろいろなところで外国人労働者を見かけるようになったこともあって、結構みんなも慣れてきたという感じですね。私は学部は日本の大学を出たんですが、今回東大の博士課程に入ることで数年ぶりに東京に戻ってきたら、コンビニに行ったときにコンビニの店員さんが外国人で数年前とだいぶ変わったと思いました。韓国はまだそこまでではなく、店員さんはまだまだ韓国人なのですが、建設現場のような韓国語をそんなに話さなくても済むようなところは外国人が多いですね。

 

●吉野 外国人で働いている方に対しては一定の理解があるような感じなんですね。

 

●スジン そうですね、頑張っている方が多くて。

 

●吉野 ただ「難民」となると、外国人労働者の方よりもネガティブなイメージがあるのでしょうか。

 

●スジン 韓国も60年代、韓国戦争が終わったすぐ後、戦争で全部が焼かれて何もなかった時期に、働く場所もなくて、ドイツとかヨーロッパの国とかに看護師とか鉱員として働きに出た人たちがいたという歴史があるんです。だから外国で頑張っている人たちをウェルカムする雰囲気がある。「韓国の私たちも昔こんなに貧乏で、みんな頑張って国を立ち上げたから、あなたたちも頑張ってください」というような考え方があります。

 

●吉野 歴史的な背景があるんですね。話が変わってしまうのですが、北朝鮮からの政治的な難民の問題というのも、韓国の難民受け入れの特徴的な要素としてあるのでしょうか。

 

●スジン 脱北者問題ですね。ただこれはテクニカルな問題なのですが、難民の定義があてはまるのは「自分の国籍国の外にいる人」なんですね。韓国の憲法は、大韓民国の領土は韓半島とその附属島嶼とすると定めていて、北朝鮮は不法的に占領されている領土で、そこの国民も韓国の国民と見なすんです。北朝鮮の国籍を持つ人たちが韓国に来て韓国に帰化したい、まあ実際は帰化ではないのですが、韓国からの保護を受けたい場合は、そのことを示すことによって、韓国の国籍が認められるということなんですね。ですので、難民にはならない。国民として保護されるというカテゴリーなんです。脱北者が日本の政府に保護を要請する場合は難民、韓国の政府に要請する場合は韓国の国民で難民にはならない。脱北者と言いますが、滞在資格や国籍としては韓国人ということなんですね。でもやはりそれはあくまでも滞在資格や国籍の問題であって、脱北者が経験する文化の違いとか経済的な困難、社会に適応する際の問題はいろいろとあるんですよね。彼らの定着を支援するハナ院という特別な政府機関があります。そこで韓国の社会に適応するためのオリエンテーションや、職業のトレーニング、斡旋などのサポートが行われます。そこでのオリエンテーション期間が終わると社会に出て、そこから地域社会のボランティアやいろいろな団体のサポートを受けながら、また脱北者の集まりでもお互いをサポートしながら生活するというのが基本的な枠ですね。

 

●吉野 やはり文化の違いというのはあるんですね。

 

●スジン 例えば韓国はアメリカの企業やグローバルな企業がいっぱい入っていて、使う言葉や用語も外国語がいろいろ混ざっています。でも北朝鮮の場合は、私もよくはわかりませんが、外国の言葉は使わない。アイスクリームだったら、「アイスクリーム」とは言わずに、韓国語(北朝鮮では朝鮮語と言いますが)に訳された自分たちの特別な単語を使う。北朝鮮では、アメリカの文化には抵抗があって使わない傾向があるんですね。それでその人たちが韓国に来ると、言葉遣いに慣れていなくて、普通に話していると何を言っているのかわからない。そういう言葉の違いを教えないと、社会に出てから混乱してしまう。銀行の使い方とかATMの使い方とか、そういう基本的なことも教えないと混乱してしまうんですね。

 

●吉野 そうなんですね。すみません、私の勉強不足で知らないことをたくさん聞いてしまいました。

 

●スジン いえいえ、これは韓国で生活していないとわからないことなので。

 

●吉野 ありがとうございます。ここで次に、UNHCRの韓国事務所でお仕事されていたことに関してもお伺いしたく思います。私も半年だけ、UNHCRの日本の事務所でインターンをしていたことがあるのですが、日本は難民条約に入っているので、政府が難民認定の決定をする機関であって、UNHCRはあくまでそれをサポートするというか、決定がうまくなされているのかをモニターするというような位置づけでした。韓国のUNHCRや、スジンさんのお仕事はどのような位置づけだったのでしょうか。

 

●スジン 韓国も1951年難民条約に1992年に加入して、難民申請を受け入れ始めたのが1994年なんですね。1994年から去年頃までで7万人前後の申請があって、それは韓国政府の法務省の傘下にある出入国管理事務所という機関が審査を担当しています。それでUNHCR Representation in Korea ソウル事務所も、技術的なアドバイスやテクニカル・サポート、例えば国際法や国際判例、国際トレンドのアップデートなどを、法務省の担当スタッフや裁判所、あとは市民社会、弁護士団体に伝えたり、カンファレンスを定期的に開催して国内問題の相談をしたりします。あと韓国の場合は、2013年に施行された難民法があるのですが、その難民法を作る際に条文にコメントをつけたり、海外の実行事例を提供するなどの仕事をしているのがソウル事務所です。私が仕事をしていたところは難民の保護を担当するプロテクション・チーム、東京事務所でいう法務部と同じところです。韓国でも昔は法務チームと呼んでいたのですが、難民保護という特徴を強くしたいということで、難民保護(プロテクション)チームに名前が変更されました。そこで4年くらい働きました。私が担当していたのは、Country of Origin Information(出身国情報)の提供です。難民申請をした人々が難民になった事由を説明する際に、自分たちではその調査をできないといった場合、あるいは法務省が判断する際にそういった情報が必要な場合や、裁判所で弁護士が関連情報をFactual Inquiry(事実照会)としてUNHCRに申請をした場合に、UNHCRは受け付けた質問に対する答え、出身国情報のレポートを作成して提出します。そのレポート(事実照会に対する返信)は裁判のときに証拠資料や参考資料として使われます。例えばムスリムからクリスチャンに宗教を変えたことで迫害を受ける恐れがあるという理由で難民申請をした場合に、本当にそのような可能性があるのか、危険性はどのくらいか、戻ったときに迫害を受ける可能性があるか、そういうことを調べて報告書を作って提出する。それが私が担当していた仕事のメインでしたが、小さな事務所だったので他にもいろいろな仕事はしました。ほかには、空港で難民申請がなされるケースがあるんですね。そのときにビザがないとか、偽のパスポートを使って入国しようとしたとかで、入国資格のない人たちには入国許可が降りず、空港に滞在しながら難民申請をするんです。そういう方たちの担当をしていました。私が審査をするわけでは無いのですが、出身国情報を提供したり、弁護士が必要なときに紹介したり、緊急な入院が必要なときにその担当の公務員と相談して必要な手続きの手配するなど、空港でのエマージェンシーの案件を担当していました。あとは定期的に裁判のモニタリングも行いました。それから難民申請で締め切りを見逃したなど難民申請手続きでの問題とか、医療や就職などいろいろな生活問題を抱えている人たちが相談に来たときに、解決策を探すためのカウンセリングをスーパーバイスしたり、必要によってNGOとの連結を手配したりしました。あとは、Detention Center(収容施設)の施設のモニタリングを月一回くらい定期的に行っていました。国家人権委員会という、韓国の政府の人権に関する問題を取り扱う団体が、定期的に行う監禁施設(外国人保護所と言いますが)のモニタリングに年1〜2回参加しました。あとはインターンのトレーニングとかですかね。東京事務所よりかなり小さな事務所なので、1人が担当する役割が多いんですね。

 

●吉野 お忙しそうですね。

 

●スジン そうですね。あとは常に行うこととして、入管、法務省、あと裁判所の裁判官や審査担当官と連絡を取り合いながら、彼らが必要な国際的な資料、例えば本部から発行されるカントリー・ガイドラインや報告書などをすぐに提供して、最新の情報で判断できるようにサポートする。それが一番大事。そういった情報を定期的に送ったり、相談して特定情報が必要な場合はそれを提供したり、あとはワークショップでのトレーニングですね。例えば審査官が抱えている悩みとして、信憑性の判断が難しいということがあった場合は、どうすれば信憑性を確認できるかとか、そういう事を一緒に考えたり、会議で勉強したりすることもやっていましたね。

 

●吉野 裁判の時に出身国情報や報告書を提供するというのは、どのケースでもそのようなオペレーションが組み込まれているのでしょうか。

 

●スジン 裁判所の場合は、事実照会の依頼書が届くんですね。例えば、難民が訴訟を起こして法務省が裁判に関わったときに、どちらかが「出身国に関するこのような情報が必要です」というようなことを裁判官に提出するんですね。裁判官はそれを受け入れて、UNHCRに依頼書を発行して、それが郵便でUNHCRに届くんです。質問シートのような感じで。例えば、「この国で宗教を変えたら本当に迫害にあうか」とか、「未成年者で、帰国したら軍隊に強制的に送られるのか」とか、そういった個人のケースに合わせた情報を質問に合わせて集めて、最新情報を調べて報告書を書いて、それを返信に出すっていうのが手順なんですね。ほとんどの場合その次の裁判の日が決まっていて、報告書に締め切りがあるので、締切までに返信します。UNHCRの公用語は英語とフランス語ですが、韓国の裁判所では残念ながら英語とフランス語は使われない、韓国語しか受け入れられない。UNHCRから出す公式な文書は英語かフランス語である必要があって、返信として公式に出す報告書は英語なのですが、裁判所へ提出するために韓国語のunofficial translation(仮訳)と二つの種類を用意して送るというのが手順なんです。全般的な国の事情を調べるために使う参考資料は、UNHCRが発行するカントリー・レポートや、イギリスの内務省、アメリカの国務省や国土安全保障省、ヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナル、赤十字国際委員会など、いろいろな団体や機関が出す現地のレポート。あとCNNやBBCといった新聞記事は、例えば紛争が起きた日にちなどの事実的データを確認するために使うことがあります。場合によっては人類学や宗教学の学術論文を引用する時もあって、多い時は50〜60個の参考資料を使う時もあります。本当に情報がない時は、「ありません」と出すこともあります。




後半では、本研究センターの難民移民ドキュメンテーション・プロジェクト(The Project of Compilation and Documentation on Refugees and Migrants, CDR)のジャーナルで、今年春に発行されたCDR Quarterly Vol.11について、翻訳作業での苦悩や、発行に至るまでの思いについてお伺いしました。また、もともとは国際刑法に興味があった法学部出身のスジンさんが、難民問題に取り組まれるようになったきっかけについてもお聞きしました。

 

●吉野 これまでのお話を聞いていると、UNHCRで担当されていた際の情報のリサーチが、CDR Quarterly (CDRQ)の判例翻訳の作業とも結びついたのかなと感じます。

 

●スジン CDRQは定期的に発行するジャーナルなのですが、私が今回担当したのはスペシャル・エディションで、それまでのような通常の論文ではないんです。2019年の集中講義で、Allan MACKEY 先生、ニュージーランドの裁判官で、難民裁判ですごく有名な専門家の方なのですが、その方が日本と海外の判例を使って、難民法と難民保護のシステム、裁判や哲学について教えてくださったんですね。講義は英語で行われたのですが、Allan先生が日本の裁判の判例を分析するためには、それが英語である必要があったんです。それで色々な先生方がプロボノとして入ってくださって、厳選された裁判の判例を英語に訳したんです。それを授業だけで使うのはもったいなということで、スペシャル・エディションとしてジャーナルを出すことになりました。あと、「隣の国の韓国の判例はどうなっているんだ」ということで、私が日本でも参考にできると感じた三つの韓国の判例を全文翻訳して、一緒に出したのが、今回のCDRQのスペシャル・エディションなんですね。韓国もそうなのですが、日本の場合は裁判の判決文が全て日本語で出されていて、海外ではそれに接する機会がなかなか無いんですね。どのような判決がなされたのか、どのような基準が使われるのか、どのような考え方で難民問題を見ているのかということが、日本国内だけで研究されていて、海外ではそれができない。そこで英語に翻訳して、それをいろいろな人に読んでもらうことができるようにしたいというのが、プロジェクトの意義だったんですね。

 

●吉野 なるほど、そうだったんですね。

 

●スジン 翻訳問題はすごく複雑というか、言葉の違いが結構あるんですね。例えばよく指摘される問題なのですが、「迫害の恐れがある」という言葉と「迫害を受ける恐れがある」という言葉の違い。英語にすると “well-founded fear of persecution”と“well-founded fear of being persecuted”ですが、そのニュアンスが違います。 “well-founded fear of persecution(迫害の恐れがある)”というのはより一般的なニュアンスですが、“well-founded fear of being persecuted(迫害を受ける恐れがある)”というのはより個人的な問題になって、「当該人が迫害を受ける恐れがある」という感じになります。そういったすごく小さなニュアンスの差を、翻訳するときに見逃されてしまったら、法律的な観点からすると、その小さな言葉の違いで、全然違う意味になる可能性もあります。日本語や韓国語の表現だと、多少は違うけれどそんなに大きな違いが出る問題じゃないような言葉でも英語表現だと結構違う意味になる。そういうところが伝わらないということがあって。これは一つの例なんですけど、このような言葉がほかにもたくさんあって、翻訳するときにボランティアで参加された先生方も苦労されていました。私も繰り返しProof Reading(校正)をしたのですが、直しても直しても上手く直せないということもありました。今回のCDRQはそういった完全、完璧ではない翻訳なのですが、「こういった問題があって、その中で頑張って翻訳してみました」ということを出すことで、読んでくださる人の中でもし訳に不満があればそこでコメントをしてもらうことでまたコミュニケーションの場が広がる。それで裁判の判決を下す方と受ける方、あるいは市民団体やアカデミアといったいろいろなところで話し合いができる、そういったきっかけを作りたいという気持ちもあったんですね。まだコメントは来てないんですけど(笑)。色々なところからのコメントを待っているんですけどね。まだあまり読まれていないのかなと。

 

●吉野 この機会に宣伝していけたらいいですね(笑)。私自身もインターンシップの際に、もちろん規模は全然違うのですが、英語から日本語、日本語から英語に翻訳する作業をお手伝いしたことがあるのですが、例えばUNHCRのように大きな機関だとすごく正確性が求められていると感じました。でもスジンさんがおっしゃるように、「ここの翻訳が難しいんだよ」と示して、話し合いの場を作ることもすごく大事だなと思いました。実務をされていたときと今アカデミアで研究されているときとで、判例の見方の違いや、できること、できないことの違いを感じることはありますか。

 

●スジン まだそんなにないかなと思うのですが、やはりUNHCRで働いていたときは国連のスタッフという立場があって、言いたいことが言えないというのはありました。例えば、政策に対して「これはどうかな」と思っても、国連的な立場や言い方で言うしかない。立場が基本的に同じというときももちろんあったのですが。でもアカデミアで研究者の立場は、中立的な、また違う立場や観点というか。これまでは国連のやり方を客観的に見ることができなかったというのがあったんですね。国連の立場ややり方を、韓国の政府や市民社会に伝えないといけないというのがあった。仕事をしていたときには、少々疑問に感じたというか、国連のやり方はやはりヨーロッパ発想なので、そのままじゃ韓国やアジアの国ではどうかなって、もっと違うやり方があるんじゃないかなって思うところもあったんです。アカデミアでは、もっと自由な立場で意見を広げる、展開することができるのではないかと。それがやりたくてアカデミアに戻ったというところもあるので、そういうところが違うのかなと思います。

 

●吉野 規模は違いますが、国連ではインターンであってもレポートなどを書く際に「それがUNHCRの見解と捉えられないように気を付けてね」と言われたこともあったので、職員の方だとなおさらなのかなと思いました。アカデミアの立場だともう少し客観的に見ることができると。

 

●スジン 実務の現場にいると、政府担当者との会議とかいろいろな会議に出るんですね。そのときにこちらから何らかの答えを出さないといけないときもすごく慎重で、「帰って話し合ってから伝えます」とか。自分で思っていることがあっても、自分の意見ではなくて、「国連はこういう立場です」と伝えないといけない。一方でアカデミアはもっと自分の主張をしても大丈夫、むしろ自分の主張をしないといけないところじゃないですか。でもまだまだその習慣が残っていて、自分が思っていることを言うのには抵抗がある。「これ言ったらいけないんじゃないか」と頭の中で思ってしまうことはありますね。

 

●吉野 そうなんですね。もしよろしければ、そもそも紛争解決や難民保護というテーマを研究しようと思ったきっかけや理由についてもお伺いしてよいでしょうか。

 

●スジン すごくドラマチックなきっかけはないのですが(笑)。学部は法学部出身で、卒業してアメリカのロースクールに行ったのですが、学部の頃から特に興味を持っていたのは刑法だったんですね。小さなころからいろいろな国で育ったのですが、そのときから国際的な問題に興味を持つようになって。自分の育った環境が国際的だったので、国内よりは国際的な犯罪の方に興味を持つようになったんですね。そこから国際犯罪や組織犯罪の被害者、War Crime(戦争犯罪)やジェノサイドなど、国際刑法で取り扱う分野に興味を持つようになって、その被害者の問題、Restitution(賠償)の制度やICC(国際刑事裁判所)にも興味を持つようになりました。その研究をしようと思ったときに、たまたまUNHCRソウル事務所のインターンシップの募集を見て、国際法の研究をサポートするインターンの募集だったんです。その当時は難民問題にはそんなに興味がなかったんですね。でも、組織犯罪から避難する、戦争から避難する人々が難民になる、組織犯罪からの避難は厳密にいうと難民には入らないのですが、暴力から避難する人々が難民になるというのが当時の私の考え方だったので、自分の興味とつながって面白そうと思ったんです。それで実際に仕事をしてみると、難民の方にはちょっと申し訳ないのですが、魅力的な仕事だと思いました。人助けをするというのは、難しいけれどやりがいがあると思って。それで、たまたまスタッフになる機会があったので、それで入ったという形です。それで難民の問題をもっと研究したいと思って、今に至りますね。

 

●吉野 たまたまというか、繋がりがあって現在に至るという感じですね。

 

●スジン そうですね。もともと興味を持っていたのは刑法や犯罪の問題だったのですが、難民問題とも関連するところは結構あります。例えば、難民として避難するときに、人身売買や暴力問題にかかわるというケースもあって。難民問題を扱う仕事をしてみたら、難民が色々な犯罪に関わっている、犯罪の被害者になってしまったり、生き残るために、食べていくために自分の意思とは関係なく加害者になってしまうということも見えてきました。例えば、少年兵士に選ばれて、戦争に参加することになるなどですね。難民保護はいろんな面で、自分がもともと興味を持っていた国際刑法にもかかわる仕事だなと。

 

●吉野 難民になった後のことだけではなく、その前というか、どうしてそのようなことになったのかという経緯も含めて考えられたということですね。

 

●スジン そうですね。やっていけばいくほど、すごく深い分野だなと思いましたね。単純に滞在資格や国籍の問題ではなく、一人の人間が生きていくために逃げて、居場所を見つけて食べていく、安全に日常生活ができるようにするのが難民保護ですから、難しいけれど深い。大変だけど興味深いというのが、私から見た難民問題ですね。

 

●吉野 パッと思い浮かぶ難民のイメージというのは人口統計的というか、大群で押し寄せてくるというようなイメージがありますが、私も研究でインタビューをしている中で、一人の生きている人間が選択した結果だという部分が見えてくるので、深い問題だなと思いますね。

 

●スジン 本当に深い問題なんですよね。

 

●吉野 そうですね。国際的な環境で育ったというお話がありましたが、そのあたりについても、もう少しお聞きしてもよいでしょうか。

 

●スジン 中学生の時にニュージーランドに行って、そこで中学と高校に通って、大学は日本、あとメキシコで一年弱くらい生活して、アメリカのロースクールにも行って、結構いろいろな国で生活、勉強してきました。普通に勉強する学生の身分なので、紛争に関わるとかそういう実際の現場を見ることはなかったんですけれども、文化的なバックグラウンドとか国籍が違う人たちが同じクラスにいるという環境で過ごして。そこから紛争とまではいかないですが、文化や国籍の違いから生じる問題を経験したり、実際に見ることができて、そこから紛争解決分野に興味を持つようになったんですね。やってみたらもっと深い、深刻な問題だったんですけれど。一緒の学校に通っていた友達が、祖国で紛争が起きて帰らなきゃいけないという状況になるのを、身近で見ていたこともありました。例えば、ロースクールに行っていたときにジョージアで紛争があって、友達が急いで帰国するのを見たり、中学生の時は友達がスリランカの紛争から逃れて両親と一緒にニュージーランドに来たというのを聞いたり。そういうことから、自分が直接経験したことではないですが、間接的に話を聞いたりして、いろいろなところでいろいろな問題が起こっているんだなと。

 

●吉野 結構身近に問題があって、そこが必ずしも出発点とは限らないかもしれませんが、自分の興味もあって研究につながったという感じなんですね。難民や外国人に関する研究をしていると、文化の違いや統合というものに行き着くと感じます。やはり実際的な問題として、文化の違いでうまくいかないところがあるとか、文化や社会的な違いが大きいという話になってくるのかなと。そういった「文化的な違い」ということに対しては、何か思うところはありますでしょうか。例えば難民受け入れの文脈で、文化的な違いをどう乗り越えていけるのかというような点について、何かお考えはありますでしょうか。

 

●スジン 私が小さい頃、海外の生活で経験した文化の違いというのは、「嫌い」とか「嫌だ」というより、「面白い」というのがあったんです。それは、まあ両親の選択ではあったのですが、一応自分が好きで行って、自分が違う言葉を習ったり、違う文化に触れたりすることは、自分の意思でしてきたことなんですね。でも難民の場合は、自分の選択ではなくて、やむを得ない事情で来るしかなかった。例えば、私は色々な国で留学してきましたが、そのときはその行先の国の情報を調べて、自分で住むところの情報を事前に入れて、基本的な言葉の勉強もしてから行く、お金も十分に持っていくというのがあったんですけれども、難民は準備ができていない状況で来る。彼らは、自分の命が危険にさらされて逃げてくる人たちであって、文化的な違いを考慮する余裕がない。一方で、受け入れる方としては、その人たちがもたらす利益はほとんどないという考え方が多いんですね。実際的にそのような人たちが、例えば受容国で社会構成員の一員として一人前になるまでは、社会的、経済的なサポートが必要です。けれども、その人たちは利益にならないから理解しようとしない、その人たちのことを理解しなくても大丈夫、理解する必要はないというような態度が多いんですね。例えば、大金を持ってきて投資する話だったら、その国ではタブーな習慣を持っているような人たちであっても、利益のために我慢しようとするかもしれない。でも難民は何の利益も持ってこないから、「嫌だと思ったら追い出す」というような考え方が、政治や世間の考え方になりやすいかもしれないと思います。文化的な対立が生じるのは、受け入れようとする態度があるかどうかという問題。あとは受け入れる必要性、この人たちと共に生きていかないといけないという必要性があるかどうかの問題。それから、異文化はよくわからないものなので、理解しようとしても、そのための情報や道具がなければ理解できない。だから文化的な対立が起きるんじゃないかなと思います。それは受け入れる側と入ってくる側、両方に言えることだと思います。例えば私は、日本やいろいろな国に行ったときには「留学生」じゃないですか。私はその国の文化を理化して慣れる必要がある。私から進んで勉強しようとする態度があります。でも難民の場合は、そうじゃない人も多い。国の一員、社会の構成員になるために他国に行くのではなくて、生き残るために、自分の命を守るために行くのであって、別に文化のことまで考える余裕がないという人が多い。受け入れる側がすべて理解しようということではなくて、私は難民にもそういう態度が必要だと思います。自分がその社会に保護を要請するのであれば、すぐは余裕がないかもしれないけれど、徐々に心を開いて、理解しようという態度をとらないと。結局両方とも頑張らないといけない、そうしないとハーモニーにならない。それが文化的な対立の解決というか、問題の原因だと思います。

 

●吉野 そうですね。必要性を感じられるか、努力してまで理解しようと思えるかというような点が、最初の出発点なのかもしれませんね。理解できないからではなくて、理解しようとしていないからということがある気がします。あとは情報についても、例えば今ミャンマーやアフガニスタンではこういうことが起きていて、日本にもその国の人たちが来るかもしれないとなったときに、どの情報が正しいのか、どのような見方をすべきなのか、特に政治の問題だと立場によって見方が異なってくるので、いろいろな情報が混在してしまうという難しさがあると思います。やはり正しい情報を発信していくことが、アカデミアでも実務でも大事なことなのだと、改めて感じました。それでは、このインタビューの最後に何か一言いただけますでしょうか。

 

●スジン 先ほどの文化的な対立につながる問題だと思うのですが、今の社会は昔と違って、いろいろな地域、国の人たちが移動して、一緒に生活する共同体のような形になってきているじゃないですか。そこで、もっと心を開いて理解しようと思う、自分の考え方を強要するのではなくて、他人のことを認め合う、そういった社会になればいいなと。難民問題に関しても、もっと寛容的になればいいなと。結局紛争は、お互いを理解しないから起こる問題だと思うんですね。自分が一番正しいとかいうことではなくて、他の人の立場から考えたり、相手をもっと考えたりして、なるべく紛争ではなく話し合い、意見を合わせて丸くやっていく、そういうことから紛争解決が生れるんじゃないかなと思います。

 

●吉野 そうですよね。紛争解決もそうですし、もし解決がすぐにできなかったとして難民を受け入れるとなったときもそうですよね。本日は大変興味深いお話をたくさんお聞きすることができました。どうもありがとうございました。

 

●スジン ありがとうございました。